東京家庭裁判所 昭和28年(家イ)868号 審判 1953年4月28日
国籍
日本
住所
東京都○区○○町○丁目○○番地
申立人
江上和子(仮名)
国籍
アメリカ(カリフオルニア州)
住所
東京都○○○区○○○ホテル内
相手方
ウイリアム・ピカツト(仮名)
右当事者間の離婚事件について、当裁判所は申立書及び当事者双方の陳述に基いて夫の本国法であるアメリカ合衆国カリフルニア州の離婚に関する法律並びに日本国の民法及び家事審判法を適用して次の通り審判する。
主文
申立人と相手方は本日離婚する。
(家事審判官 近藤綸二)
申立の趣旨
申立人は相手方と離婚する調停を求めます。
事件の実情
一、申立人は相手方と昭和二十六年二月○○日横浜に於て正式に結婚した。
二、申立人は昭和二十三年十一月頃○○○○○に事務員として働いている頃、相手方が○○放送局のプロデユーサーをしている時、同じような職場の関係上知り合いとなり土曜日、日曜日などピツニツク、海永浴に行くなど友人としての交際が始まり結婚まで行つた。(結婚前同棲していません)
三、結婚後相手方と同棲し相手方がよく飲むのに驚いた、東京、仙台、東京と一緒に住み(約一年三ケ月間)アルコール類の度は日増しに増すばかりで結婚後四、五ケ月位よりウイスキー一本が前夜から翌朝にはアキビンとなるしビール一箱あつても一日で足らず、その上外(クラブ等)でも飲みそのような調子で生活も外人とはいへなかなか楽ではなく申立人は自分の衣類などを売つたりして生活にあて又実家より二万円借り生活にあてそれも今だに返金できず、相手方に再三の忠告をしたが聞き入れず昭和二十七年一月東京に転勤してからは申立人はもうとても手におへず他人を入れて忠告したがそれもきき入れず、その上その頃からは、夜は床の中で便はするし外泊するし、外泊すると四、五日はかへらず、その頃より申立人は相手方との結婚生活に不安を持つた。給料をもらつても一週間足らずで使用してしまい(相手方の給料支払いは二週間置き払い)給料の殆んどが相手方の飲料代に使用された。アルコール類がなくなると相手方は手がふるえ飲まないと大人で立派な人であるが、昭和二十七年五月○○日相手方は申立人を日本へ残し単独でアメリカへ約七カ月間帰国した。その間申立人は実家○○市へかへり送金もあまりないので○○○○○において事務員として働いた、昭和二十七年十二月○○日相手方は再び日本へかえり十二月十三日単独で上京した。友人の話ではその上京の間も飲んでいた。申立人は一月に約十五日間上京し横浜の友人金田三枝方に相手方を残し一度○○市へかへり再び昭和二十八年二月十四日上京叔父にあたる東京都○区○○○町○○方に相手方と住んでいた。その間も家では飲まず外で飲んでいた。申立人は妹にあたる白井清子より一万円借りるなどして上京して来たものの申立人の生活も考へず、三月六日の夕方相手方は単独で横浜へ行くと言い、出て行きその夜はかへらず翌日三月七日午後三時頃叔父の家の近くの道路上に酔つて大の字になつて休んでいるところを見つけようやつとの思いで連れかへり酔いのさめるのを待ち注告した。酔つたせいか申立人の知らない金十二万円落し相手方も後悔の様子があるのでそのままにしていたところその翌日申立人より三千円もらつて行きそのまま約十日間外出したままかへらず申立人は八方手をつくしたが探すことが出来ずに相手方の知人○○○○に頼んだ。二月十八日○○○○会社の車で○○警察署より連れて来た。その時相手方は見るかげもなくヒグはのび洋服はよごれひどく酔い手のつけようもなく主人として非常に情けなくひとまず叔父の家に入れ酔のさめるまで休ませ、申立人はアメリカ大使館及び○○○大尉に連絡をした。相手方は過去十日間に飲み歩きその上タクシーに無賃乗車、○○○警察署、○○警察署、○○警察署に出され迷惑をかけ○○署にはタクシー代金の代りにセーターを置き、申立人は自分の銀製コンパクトなどまで売つてその代金を払いに行つた。申立人はこれ以上相手方との結婚生活は勿論一緒に住む事も許されずアメリカ大使館、○○○大尉などを通し病院に入れてもらいそれと同時にアメリカへの帰国を願つた。これ以上申立人は人様に迷惑をかける事は出来ず又これ以上手をつくす事も出来ませんので離婚の方法を行うより外ありません。
四、子供がない。
五、財産について何等請求しない。(相手方が良心的であれば払う事も出来る)